皆さまからのお便り letters

父の献眼を経験して≪兵庫県養父市 小畑 美由紀様≫

父が献眼に至ったきっかけは、私が参列した近所のおばあさんのお葬式でした。
おばあさんは、誰かの役に立ちたいと生前から言っておられ、大屋ライオンズクラブの勧めでアイバンクに登録され、角膜を提供されたことを知り、おばあさんの崇高な考えと家族の受け入れに対し大きな感動と衝撃を受けたことを今でも覚えています。

おばあさんの葬儀終了と同時に、さっそく近所の大屋ライオンズクラブの方にお話を伺い、私もぜひ協力したいと申し出ました。
その時に大屋ライオンズクラブは目の不自由な方に光を与えてあげるために、アイバンク登録者を募る活動を積極的に行っていることを知りました。

私は保健師をしており、私の死後に体が役に立つのであればと思い、
臓器提供意思表示カードも早くから整えていましたが、家族への勧めまではしていませんでした。

このたび大屋ライオンズクラブの方の積極的な勧めにより、
私自身のみならず家族間で角膜提供について話をする機会を持つ事ができ、父も賛同してくれました。

そうこうしているうちに父の具合が悪くなり、医師からは入院も勧められましたが、父は家で死ぬと言いきりました。
家族として父の最後の望みをかなえてあげようと主治医と共に在宅での看取りを決めました。

死期が近づくにつれ、角膜提供のことが頭に浮かび、担当看護師にも相談しましたが、
「面倒なことが多いから断ったら。」と言われ、私自身も(眼球摘出は医療行為だから在宅で亡くなってもきっと病院に遺体を搬送して、病院で眼球を摘出するんだうなぁ、死んでからそんなことまでするのは面倒やし、
こんなことは病院で亡くなる人しかできないことなんや。)と思い、やっぱりそんな面倒で大変なことはやめようかという気持ちが頭をよぎりました。

そこで、半ば断るつもりでライオンズクラブの方へ連絡を入れたところ、
「眼球摘出は家でできる。夜中でもいつでもアイバンクの人が待機していて医師と連絡して家まで来てくれるから亡くなったらすぐ連絡したらいいし、せっかくお父さんが意思を示しているのだから、ぜひその思いを受けて提供してほしい。また神戸から来られるので時間がかかるけど、角膜が乾燥しないように濡れたガーゼなどで瞼を覆ってもらっていたらいい。」とのアドバイスをいただき、てっきり近くの病院ですると思っていたので、家でできると聞き、目からうろこ状態でした。
それなら父の意思を受け止め、目の不自由な方のために父の角膜を提供しようと、家族も気持ちが固まりました。

その日の夜中に父は亡くなり、本当に夜中で申し訳ない気持ちもありましたが、
ライオンズの方の心強いアドバイスのおかげで、迷わずアイバンクの方へ連絡を入れさせていただきました。

実際には家に到着されるまでに思ったより時間はかかりましたが、
家での眼球摘出に、私も母も立ち会い見学までさせていただくなど、
病院で亡くなった方にはできない経験もさせていただきました。
摘出後も義眼を入れ、瞼の縫合により外見では摘出したことはわからない状態にしていただけました。

摘出にあたっては、遺族への意思確認、感染症がないかを見るための血液検査、眼球摘出と最後のしあげなど、
一連の作業には約1時間半程度かかったように思いますが、
悲しみよりも誰かの役に立てたことや父の思いを果たすことができたという満足感がわいてきました。

今回の父の献眼を経験して感じたことは、具体的な献眼の仕組みはまったく知らないということ、
誰かの後押しがないと登録や実際の献眼に至るには難しいこと、
医療関係者の看護師でもやめる方向にアドバイスをしてしまい、本人や家族の意思をぐらつかせることもあるということです。
でも逆に、父の葬儀終了後、お寺さんが「お父さんはええことしなったなぁ。わしもさっそく登録するわ。」と言ってくださり、私が感銘を受けたように葬儀に参列された方にも登録の輪が広がっていくきっかけにもなるということです。

私の場合には大屋ライオンズクラブの方の積極的な後押しがあったことで実際の献眼に至ったわけですが、
アイバンク自体も職員は少なく、啓発や身近な個々人へのかかわりには限界があると聞いています。
今後はこのような実際の経験を広く多くの方に知っていただき、
一人でも多くの方がアイバンク登録されるとともに最終的に実際の献眼に至るよう、
微力ながら協力をさせていただきたいと思います。

仏壇の前の多くの感謝状を見るにつけ、父の残してくれた崇高な遺志に改めて思いを馳せるとともに、
どこかで父が誰かの目となり元気に生きていると思いながら、本人及び家族が満足できる最期が迎えられたと感謝をし、
心穏やかに過ごしているこの頃です。